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サックスの査定は私がさせていただきます。

担当の田崎です

目次

サックスとの出会いはブラスバンド部への入部

福岡県私立西南学院高等学校にてブラスバンド部に入部したのがきっかけでサックス(アルト)を始める。当時男子校だった為、ブラスバンド部といっても少人数でしかも編成が偏っており、その結果部の練習は新人アイドルの発掘に燃えるドラムの先輩が授業中にアレンジしたポップスや新人アイドルの新曲が主だった。

お陰でサックスソロをコピーする機会が多く、自然とPOPS~フュージョン系サックスに目覚める。
高校3年間は授業よりサックスがメインの学生生活に。

3年間を通して徐々に「ジャズ」への憧れが芽生え始める。
※当時の楽器は、備品のボロボロYAS-24。卒業間際にYAS-62が入ってくる。

ジャズ研がなくサークルを立ち上げ
ジャズ研究部まで昇格させた大学時代

高校卒業後、浪人を経て日本大学(三島キャンンパス)に入学。
住み込み新聞配達をしながらの受験勉強に溜まりに溜まったストレスを発散すべく、憧れの「ジャズ研」を探すが、キャンパスにジャズ研は存在しなかった。

そこで大人しく吹奏楽部に入るも1年後、とうとう我慢しきれなくなり、昼休みや放課後にキャンパス内で1人でサックスの野外演奏を始める。
次第にギャラリーが増え、仲間も集まり成り行きでジャズ「サークル」を立ち上げる。

大学において「サークル」から正式な「部活」に認可され部費を定期的にもらうべく、学内にかかわらず学外にも活動の場を積極的に拡げる。サークルには楽器初心者がほとんどだったので、苦肉の策で当時流行りだした「東京スカパラダイス・オーケストラ」の曲をレパートリーにして(スカパラの曲はアンサンブルがなく、全員で主旋律を吹けばなんとかなる為)大所帯のブラス構成で商店街やJRのイベントに出演し介護施設や成人式など数々の地域イベントに呼ばれるようになる。

この頃、タモリさんのプライベートパーティーで演奏。
パーティー後「白鍵だけで出来るチック・コリアが弾きそうなフレーズものまね」など伝授して頂く(笑。

学外の活動が評価され、晴れて「ジャズ研究部」となる。

サックスプレイヤーを目指すために
中堅広告代理店を退社しての波乱万丈

大学を卒業後、都内の中堅広告代理店に入社するも音楽の道が忘れられず退社。

この時期にFUNK~ブラック・ミュージック界の大御所ジェームス・ブラウンのバンドでサックスを吹いていたメイシオ・パーカーに本格的にハマる。メイシオ・パーカーの「サックスに興味の無い人でも踊りたくなる」プレイに憧れFUNKサックスプレイヤーを目指し都内でFUNKを中心にライブ活動に明け暮れる。

この時ブラスセクションのレコーディング等を通して、数々のアメセルに出会い、吹く機会に恵まれる。※当時の愛器は石森楽器で選定・購入したアメセルのマーク6

サックス演奏を止め、トラック制作で
クラブミュージックの世界へ

元妻との結婚を機に、(某音楽事務所の社長さんの「バンド組んでメジャー目指さないと食べていくのは難しいよ」というアドバイスと、妻といつでも一緒に居たいという不純な動機から)妻をボーカルに立て、自分はトラック制作に鞍替えという暴挙に出る。ここからクラブミュージックの世界へ。次第にトラックメイカーとしての楽曲制作が増える。

活動の場がクラブ中心になり、サックス演奏を止め、トラック制作の受注制作が中心に都内でのライブ活動とトラック制作の傍ら年に1度、当時福岡ドーム内にあったイベントスペースにてワンマンのカウントダウンライブを開催。

レパートリーはオリジナルのクラブミュージックで殆どの人に認知されていないながら3年間、毎年老若男女300人以上を動員。

ライブでは、観客全員が盛り上がりジャンプする床の振動のために地震状態の中、機材がスタンドから落ちないよう必死におさえながら演奏したり、ライブ後、酸欠で酸素ボンベを吸いながら担架で運ばれたり、お客さんがこのライブで知り合い、今回は結婚してやってきました、と報告してくれたり…などなど小規模ながら毎年とても貴重な経験を味わう。
この時「自分が音楽に惹かれる理由は、知らない人達同志が、音楽が始まるに連れ笑顔になっていく、この感じだ」と痛感。

音楽プロデューサーに転身も音楽を楽しみに変えるために
営業の道へ

大阪の小さな某インディーズ事務所にプロデューサーとして所属。これを機に大阪に転拠。
音楽を「制作仕事ではなく生涯続けられる楽しみに変えたい」と一念発起し音楽を辞め営業の道へ。

ある程度仕事が軌道に乗った所で「なんやかんや苦労しながら音楽で好きな事やってきたように思えるけど、じっくり自分だけのアプローチ追求する暇なかったな…」と思い立つ。
これこそまさに「仕事音楽ではできないこと」だ、とばかりに「自分の音楽って?」という思いにとりつかれる。
自分の関わってきたトラック制作は「いかに流行りに乗ったものをマネして量産するか」だった。

サックスという楽器とつきあっていた日々が
一番「音楽していた」

個体によって、マウスピースとの組み合わせによって、自分の練習の怠け具合によって…笑、気温によって…とさまざまな要因でコンディションが変わるサックスという楽器とつきあっていた日々が一番「音楽していた」ことに気がつき「出来の悪いコほど可愛い」の境地に達する(笑。

そこでやっぱり自分の音楽はトラック制作ではなく、「個性のあるサックスという生楽器とコミュニケーションを取ることで開けていくものだ」と確信。
仕事をしながら「素直に自分を表現できる」方法を模索するためにサックスを再開。

サックス買取ラボふくおかをスタート

福岡に戻り現在の会社で、紆余曲折ありながらもサックスの愉しみと音楽の楽しさを通して全国のサックス好きの皆さんと繋がりたい、サックスを続けていくための役に立ちたいという想いで「サックス買取ラボふくおか」をスタート。

サックスは本当にナマモノな楽器だと思います。パーツとの組み合わせや個体の持つ個性となにより吹き手との「相性」が本当に大切で、作り出す音に大きく関わってきます。人付き合いでも「悪友」が本当に悪い友達ではないように、サックスもまたクセのある事、扱いにくい事が即「悪い楽器」ではないのが面白く、奥深い所です。

サックスの査定をサックスプレイヤー目線で査定

プロを目指すとなると「扱いにくさ」や「万人受けしない個性」はある程度切り捨てていかないと先に進めなかったりしますが、あまりにもプロと同じ基準で良し悪しを判断してしまうのもアマチュアとしてはもったいない気がします。

機材や技術知識が誰にでも手に入れられる現代では、型にはめ、型の中で優劣のしのぎを削る事よりも、音楽の楽しさ自分らしさを追求し続ける特権こそむしろアマチュアにあると思うからです。

こんないろいろな想いから、中古サックスを単なる中古としてではなく機種が同じでも1本1本違っていて、それぞれが持っている個性や良さを見つけ出すことで中古サックスの魅力を引き出したい、という「音ヌケ査定」が生まれました。

これからも「サックス買取ラボふくおか」は、中古サックスの買取に関して「使い込まれたサックスの良さを見つける、次のサックス好きの方にしっかり引き継ぐ」をモットーとし、納得のいくサックスの買取価格をご提示します。中古サックス販売に関しては「中古サックスを通して、アマチュアだからできる音楽の愉しみ方・付き合い方との出会いのきっかけになりたい」をモットーとしていきます。


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